SMAPに感謝の件

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本年の投稿は前回の分で終了と思っていましたが、もう一件だけ、どうしても投稿したくなってしまいました。

 

本日でSMAPが解散なんですね。

録画しておいた「SMAP×SMAP」最終回(12/26分)を見て、しんみりした気持ちになりました。

 

私は1996年春に仙台から上京して高田馬場に移り住み、早稲田司法試験セミナー本校に徒歩で通い、朝から晩まで司法試験の勉強に励むようになりました。

でも、大学を卒業して2年経ち、すっかり法律の知識が抜けてしまっていた25歳の私にとって、正直なところ、知り合いもろくにいない東京で一人暮しをして、一から司法試験の勉強をすることは、大変しんどいことでした。

当時はそんなことは一言も口にしませんでしたけどね。

口にしてしまうと、折れてしまいそうでしたので。

 

経験された方ならお分かりいただけると思いますが、一度社会人を経験してからもう一度勉強のために机に向かうって、望んでしたこととは言っても、ものすごく苦痛を伴うことですよね。少なくとも私はそうでした。

しかも当時の司法試験は、合格率2%前後、勉強にかける平均年数は8~9年、という時代です。

セミナーの自習室に行くと、ベテラン受験生みたいな人たちがごろごろいて、みんな自分よりも確実にできるけど合格できていない人たちなわけですから(実はそうでもないことが薄々分かってきたのは、勉強を始めて2年くらい経ってからです)、「この人たちよりも上に行かなければ合格できない」というプレッシャーは、心身ともに強烈でした。

 

そんな中で始まった番組が、スマスマだったんですよね。

月曜9時からはロンバケ、10時からはスマスマ、という鉄壁のルーティーンに、当時すごく救われていたと思います。

セミナーの自習室の開いている時間が朝8時から夜10時までで、10時まで勉強を頑張ってから徒歩5分くらいで当時の自宅アパートに帰ると、ちょうど月曜にはスマスマをやっているわけです(ロンバケやってた時は9時には帰宅していましたが)。。

一日誰とも話をせず孤独に勉強だけをしてきて、でも何の手応えも感じられない、全然先が見えない、そんな荒んだ心を、SMAPのコントやビストロは、本当に癒してくれました。

 

森君が脱退するときの放送も、とても印象的でした。

実はスマスマが始まってわずか1か月くらいでのことだったんですね。

こんなに成功を掴みかけている森君も進路を変えたくなるものなんだな、という思いと、泣きじゃくっている中居君って本当にいいやつなんだな、気持ち良く送り出してあげられるみんなも素敵だな、などいろいろ思いました。

で、(当然全く関係ないんですが)俺も頑張らないと、と強く思ったのです。

 

1999年4月に司法修習に入ってからは忙しくなってしまい、スマスマを見ることはほとんどなくなりました。

でも、当時はまだよくカラオケにも遊びに行っていた頃でしたから、2000年10月に弁護士デビューするまでは、SMAPの曲だけはしっかりフォローしていました。

SMAPの曲は、記憶に残る曲が多いと思います。

私の中で忘れられない「世界に一つだけの花」は、友人の結婚式で聞いた、新郎のお友達の皆さんによるアカペラコーラスバージョンです。

多分普段は真面目でそこまで芸達者なわけでもないのであろう皆様が、おそらくすごく時間をかけて練習して、新郎新婦のために一生懸命に熱唱しておられた姿が、ものすごく記憶に残っているのですよ。

20年以上もトップアイドルだったわけですから、きっと日本中の皆さんの人生のどこかにSMAPの思い出が残っているのではないかと思います。

 

SMAPの皆さん、本当にありがとう。

そしてお疲れ様でした。

 

詳しいことは何もわかりませんが、あと10~20年くらい経ったら、テレビ等で放送されるとかされないにかかわらず、きっとまたメンバーの皆さんでお話できるようになるのではないかと思います。

そういう強い絆がある方々であるからこそ、30年近くも一緒に活動できたのだと思いますし。

たぶん人生ってそういうものだと思いますし、時間が解決してくれることもたくさんあります。

かのチャーリー・チャップリンが「人生は、クローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」と言っているとおりです。

 

ではまた!