今私たちにできること
久しぶりの投稿です。
1月下旬ころから大変忙しくしていましたがようやく一段落し、我が家は3/11(金)から三日間、上越国際にスキーに行く予定でした。
しかし、直前に娘が熱を出したので、スキーはなくなく見送ることにしました。
そのような中、3/9の夜、突然の訃報がありました。
同期で同世代の男性弁護士でした。
本当に急でしたので、本当に驚きました。
彼は弁護士一人で事務所を運営しており、事務局一人は体調不良で休職してしまっており、残されたご家族は事務所経営にはほとんど携わっていらっしゃらなかったため、一体彼の事件が何件あるのか、どういう進捗状況なのか、それらをどうしたらよいのかもわからない状況でした。
そのため、たまたま日程を空けていた私は、とにかく彼の依頼者の方々に迷惑をかけまいと、3/10に他の同期ともども彼の事務所に詰め、彼の手帳や事件記録をあらいざらいみて、近い期日の事件は延期し、できる限り事件を他の弁護士で引き継ぐべく調整しました。
(今もなお調整中です)
しかし、どうしても期日延期が難しかった翌日(3/11)の小田原での調停のみ、取り急ぎ私が彼の代打として、依頼者の方と一緒に出頭しました。
幸いにしてその調停は、実質一回目だったのに無事成立しました。
実務上、こんなことはまずありえません。
きっと彼が力を貸してくれたのだな、と思いました。
あのドラゴンボールで、若き孫悟飯が死んだ孫悟空と力を合わせてセルを倒したときのような、そんな思いでした。
その調停から事務所への帰り道。
3/11(金)の14時46分。
逗葉新道入口近くのコンビニエンスストアで、遅めのお昼ご飯と缶コーヒーを買って車に戻り、車のラジオをつけたとき、あの揺れがきました。
ラジオをつけたのと同時だったので、なんか車のギアが変なところにでも入ってしまったのかな、と思いました。
しかし、周りの車や人々も揺れていたのと、J-Waveのパーソナリティ(レイチェル・チャンさんかな?)の「地震がありました」で、ああ地震なんだと思いました。
ちょっと長いなとは思いましたが、正直揺れ自体はそんなに大したことないと軽く思ってました。
まさか遥か遠く離れた東北沖が震源地などとは、夢にも思っていなかったのです。
昼ご飯を食べている最中、レイチェル・チャンさんが「六本木ヒルズの窓から、お台場方面で黒煙が上がっているのがみえます」と言い出したあたりから、様相が変わってきました。
たぶんそれは、コスモ石油のコンビナートの爆発だったのでしょう。
あとであのあたりに勤めている友達が、目の前のタンクが爆発してものすごくびっくりしたと言っていました。
その日は夜から藤沢で同期弁護士の彼のお通夜が予定されていました。
そのため、早めに事務所に戻らないとと、昼ご飯を喉に突っ込んで逗葉新道にたどりついたところ、横浜横須賀道路は通行止めでした。
仕方がないので、一般道(国道16号線)で横浜へ戻ろうとしましたが、大渋滞で全く車は進まず。
金沢文庫を越えたあたりまで来た段階で午後5時を越えてしまい、横浜方面の車が全く動かなくなったので、これはダメだと思い、Uターンして藤沢へ直接向かおうとしましたが、藤沢方面への車も大渋滞。
結局彼のお通夜には出席できませんでした。
町中の電気が消え、信号機の電気までも消え、車の赤いテールランプだけが延々と続き、交差点ごとに警官(中には明らかに刑事もいました)が出て交通整理をしている絵は、本当に異様でした。
ようやく深夜に自宅に帰り着き、テレビで津波の映像を見ました。
本当に信じられませんでした。
陸前高田市、大船渡市、仙台市若林区、名取市閖上、各地を破壊した大津波の恐ろしさに、心底戦慄をおぼえました。
荒浜の海なんて、私が大学時代遊びに行っていた海です。
仙台で学生時代を四年、社会人時代を二年過ごしましたから、たくさん知り合いもいます。
一体あの人たちはどうなったんだろう。
今も安否不明の方は大勢いらっしゃいます。
顔を思い出すと涙がこぼれそうです。
それからここ数日間。
次第に余震も減っているように感じます。
私の身の回りも少しずつ落ち着いてきているように思います。
しかし、被災地の方々の生活や不安を思うと、本当に心が痛みます。
私の両親は、茨城県日立市の実家で今も不安な日々を送っています。
幸い食料の備蓄とガソリン・灯油はあるらしいのですが、被災からしばらくは電気もガスも水道もとまり、ご近所で井戸水をわけてもらい、布団を被って寒さをしのいだそうです。
車はあるのだからこちらへ来たらと言っているのですが、付近にはもっと困っている高齢の方々がいるので、見捨てて逃げるような真似はできないと言っています。
隣の家はブロック塀が崩れてしまったし、向かいの家は瓦が全部落ちてしまい、本当にみんな苦労されているようなのです。
そんな両親を、本当に誇りに思います。
できれば助けに行きたいのですが、電車も通らず、高速道路も通行止め。
一般道の渋滞も読めず、ガソリンも少ない車で行くとかえって迷惑をかけかねないので、毎朝電話をしてあげるくらいしかできていないのが現状です。
一人一人ができることは、本当に小さいことだけです。
特に私たち弁護士など、自然災害の前では何もできません。
今被災地で法律相談をしたい人なんておそらくいないでしょう。
しかし、我々にできることは、改めて助け合いの精神を持つことでしょう。
少ない物資を買い占めるなんてことはせず、少しでも被災地に物資が届けられるために最善のことをしましょう。
また、妙な怪情報に惑わされず、落ち着いて普通の生活をしましょう。
みんなが浮足立ったままでは、いつまでも世情は不安なままです。
私も、大恩ある東北地方や茨城県復興のために、一体自分が何ができるのかを一生懸命に考え、行動したいと思います。
皆さんもともに考え、ともに行動しましょう。
ではまた。